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できることを精一杯

今期はアニメが不作だなとか思いつつ、気がついたら7つも継続してた、ヨシノブです。シャル可愛いよシャル。


この一週間で世界がガラリと変わってしまったように感じます。
しかし、当たり前のことですが、被災地から遠く離れた愛知ではいつもどおりの日常がやってきます。

テレビやネットの情報をみると、現地の悲惨さは想像に難くありません。
今回の出来事は僕の中ではアメリカ同時多発テロと同じくらいショッキングでした。
が、所詮、ボクごときの想像など実際に被害にあわれた方の1000分の1も理解できていないのでしょう。

ボクは震災をしりません。
帰る家もあるし、食べ物だってコンビニで手に入る。電気・ガス・水道も全て整っているし、職場には毎日お客様が遊びに来ています。
なんのことはない、日常がそこにあるのです。

ボクが関わっている同人サークルぷ~ぎ~が、動き出しました。
今後具体的にどう活動していくのかわかりませんが、彼らの拠点は関西です。
彼らは阪神大震災を知っているから、きっと思うところがあるのでしょう。


ボクに何ができるのだろう?


いままでのボクならきっと「遠くで起きた悲しい出来事」で終わっていたかもしれません。
仕事やネットを通じて関東地方にも友達や知人が何人かは出来ました。
幸いにもボクの知人・友人に関する訃報はありませんでしたが、彼らはいま戦っています。

一方ボクは、援助物資をおくることも出来ない、節電に協力することもできない、ましてや直接援助活動に参加することもできません。
そんなとき、社内の有志が「各店舗で義捐金を募ろう」と言い出しました。

ウチの会社は被害こそありませんでしたが関東にも店舗を構えており、会社の許可もおりました。
ボク個人にできることはたかが知れているけれど、ボクたちが働きかけることで、たくさんの人の力や思いを集めることはできる。

ボクはさっそく募金箱を作り始めました。
手作りのつたない、泥臭い募金箱。

ボクは館内放送で呼びかけました。

「ただいま東北地方太平洋沖地震の義援金を募っております。どうかご協力をお願いいたします」

日本が大変なことになっている中、遊ぶなとは言わない。
せめて自分達が遊んでいる時も苦しんでいる人がいることを忘れないで欲しい。

すると、ちいさな子供からお年寄りまでが募金に協力してくれました。

ボクは自分の財布に手を取りました。
が、残念なことにボクの財布には小銭がありませんでした。
Dr野口がプリントされた紙もありませんでした。

それは仕方のないことだったのです。

ボクはフロントを通りかかる常連のお客様に声をかけました。

「おばちゃん、募金した?」
「まだだけど、あんたはしたの?」
「したいんだけど諭吉しかいないんだよね」
「それ入れたら私もいれるわ」

ボクは笑顔で諭吉を募金箱にいれました。
そしておばちゃんも笑顔で募金に協力してくれました。

「今の見た?おれ最高にかっこよくね?」
「みてませんでした^^」


このバカスタッフ!ちゃんとみとけ!


「次はちゃんと見てますからもう一回やってくださいよ


ボクはひきつった笑顔で諭吉を力の限りねじ込んだ。

こうしてボクの晩御飯からデザートが消えた。


「今、自分にできる精一杯をやっていこうぜ」
「ところでヨシノブさん、今日が提出期限の書類できました?」
「今はコレが精一杯」(訳:まだ何もやってません)


こうしてボクの業後は消えた。
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tag : そろそろボクにも救いの手が差し伸べられてもいい頃

感謝の気持ち

看板業を営み、報酬を一晩で使い切るほどの酒飲み。
海兵として戦争を体験し、所属部隊が壊滅的打撃を受けたが、偶然にもその1週間前に異動を命じられて出動せずにすんだ。

終戦後、故郷大阪で結婚。「当時にしては珍しい恋愛結婚だ」が口癖。
もともと体の弱かった妻に「大阪の空気は悪すぎる」と言って北海道に移住する極端な性格。

2人の子供を授かりそれなりに幸せな家庭を築くも、若くして妻を亡くし絶望を味わう。
やがて長男は就職のため、遠く愛知へと旅立っていき、娘も結婚をし、娘家族と共に暮らすようになる。

電車で日本中を旅しながら、愛知に立ち寄り孫の顔を見て帰る。

生涯現役を貫き、70歳で通信制の大学に入学、経営学部を卒業。
経営学部を卒業後、法学部へ再度入学。

自転車で転倒し頭を強打、入院中にボケの症状が見られるも「孫と約束をしたから」と、脅威の回復力で克服。
愛知万博開催の際には「約束どおり会いに来た」と言って万博を鑑賞。
歳とともに足腰が弱りまともに歩くことも困難となってしまったが、孫の結婚式には車椅子で参列。


心臓を患い、ここ数年入退院を繰り返していた爺ちゃんが、4月に再び倒れました。
病名は末期の肺ガンでした。
今すぐどうというわけではないけれど、覚悟はしておくようにと言われました。

8月に爺ちゃんに会いに行こうと計画を立てていたのですが、今週の日曜日、容態が急変したと連絡がありました。
そして7月25日午前10時30分、爺ちゃんは90年の人生を終えました。



こういうことをネット上に書くことはどうかと迷いましたが、爺ちゃんの足跡を残したいと思い、自分の書きたいことを書こうと決めました。
はじめての「真面目」カテゴリが人の死となってしまったことは非常に残念ですが、初めて直面した身内の死に色々と考えさせられました。
そして、爺ちゃんの死を通じて気付かされたこと、学んだことも沢山あります。
死してなお人を成長させる爺ちゃんに感服です。


大正・昭和・平成と波乱万丈の人生を送った爺ちゃん。
あなたは俺の誇りです。会いにいけなくてごめんなさい。大好きでした。
90年間お疲れ様でした。

ありがとうございました。
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